2009年1月13日 (火)

素朴な疑問?

ネットのニュースで下記のような記事を見た。

 厚労省東京労働局によると、求職者1人あたりの求人数を表す有効求人倍率(パート除く)は職種ごとに大きなばらつきがある。都内の昨年11月の数値を見ると、「一般事務職」は0・27倍、「製造・土木」も0・55倍と極めて低い。これに対し、資格や経験が重視されるIT技術関連、介護関連などは3倍以上となっている。
資格を持たない人には、再就職は難しいように見えるが、特段の資格が必要ない「接客・給仕職」で5・93倍、「警備職」も5・74倍の求人があるのだ。現実には年齢や経験などの制約も受けるだろうが、同労働局の担当者は「給与や勤務時間帯など、人によってそれぞれ譲れない一線があるようです。その一線を越える仕事を無理に紹介できませんから」と話す。
 年明け以降、連日5〜10人の元派遣社員が相談に訪れている東京・豊島区のハローワーク池袋の青木和夫・職業相談部長によると、「相談にくる元派遣社員たちは素直でまじめな印象。就労意欲も高い」という。それだけに、「今まで働いてきた仕事以外の職種に気持ちを切り替えて、就職活動をすることができない人もいるのでは」と見る。

これを読んで「なんじゃそりゃ?」と素朴に思った。

こんな状況に及んで「譲れない一線」とは何なのか?

そのなかでも賃金はわかります。家族を養っているかたもおられるそうですから。

これまでやってきた仕事につきたいってのは、どうかと思う。

同じような職種が募集されているのなら、派遣切りなんてことはないはずですもんね。


こういうご時世だが、上記の記事にあるように、職種を選ばなければ

全然仕事がないわけではないようです。


それと当初から疑問に思ってることが一つあった。

それは、

「派遣社員という状況をチョイスしている理由なんなのか?」

ということである。全員が切羽詰まって派遣社員をえらんでるかな?

どうもよくわからないんです。

それをまずはっきりさせる必要があるんじゃないのかな。

そこがグレーゾーンになってしまってるまま、報道されちゃってる感じがします。

正社員であれば、会社の中でのしがらみや成果目標から逃れられない。

それがいやだから派遣という位置を選んでいる人も結構いるんじゃないのかな?

と思ってしまうのだ。

もちろん会社側の一方的な解雇は大問題だと思う。

だけど、派遣労働者の方々の「働くこと」に対する意識がどうであったのか、

ということも検証しておかなければ、根本的な問題解決につながらないのではないか、

と思ったるするのだ。

住むところもなくなってしまう状況の中で、職種を選り好んでいるというこのニュースを見て

そんなことを思ってしまったのですよ。

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2008年11月23日 (日)

なんとなくやってたら到達すると思っているか、自ら進んでつかみ取りにいくか

「こっから先は勝ち取りに行かないとつかみ取れないよ」っていう境界線がある。

労力を積み重ねを続けていけば、「自分のつかみたいもの」へ自然に到達出来るかと言うと

それはちょっと違う。その境界線を腹をくくって乗り越えようとしなければ到達しない。

労力という言葉には、つかみ取りたいと言う意志や緊張感、緊迫感は含まれない。

努力には、何かをつかみ取りたいという意志が存在する。緊迫感、緊張感も存在する。


ギターもただ弾いてるだけではうまくならない。弾くと言う労力、作業を繰り返してるだけだ。

「うまくなりたい」「うまくなるぞ」「どうやったらうまくなるのか」

そういった意志がないと上達しない。

「これを乗り越えんとうまくならんな。」という境界線を感じてくる。

それを乗り越えようとするのは、「うまくなりたい」という意志でしかない。

「自分の手の届く範囲」にうまく着地させることばかり考えてたら、

いざと言う時に、つかみ取りにいけなくなるよ〜。

仕事場で高3の受験生を見ていると、そう思えてくる時がある。

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2007年3月14日 (水)

母上殿の「御都合主義?」

この前の日曜の夜、爆笑問題が出演する番組で、こんなことを議論しとった。


「オシッコは立ってするか、座ってするか」


ま、どっちでも好きなようにすればいい話なのだが、

VTRに出てきた一般の方々の話の中で

「んんんんんっ!???」と思ったことについて書いてみる。

あるお母さんが、

「うちは、子供達もお父さんも座ってするようにシツケました!。」

と、さもスゴイでしょ的に鼻高々におっしゃってた。

まあ確かに、飛び散っちゃうし 日々のトイレそうじは 大変だ。

言われる男側は、そうじのことを言われちゃうと何も言えないわけだ。

あと改めてトイレでしてみると確かに結構工夫してしたつもりでも

飛び散ってしまう。


このお母さんの言ってることに、何か違和感を感じながらいろいろ考えてみると、

この「オシッコは座ってしなさい。」というしつけは、

子供達(ま、おとうさんも)の人間形成や成長、

社会に出てからのマナーの習得に何の関係があるのかがわからない。


「日々のトイレ掃除がどれだけ大変だと思ってんの!」的な論理なんだろうか?

それってしつけやマナーの習得に関係なく

「自分のそうじが楽なように、強制力を働かせた」に過ぎないのではないか?

ようは、「自分のため」なわけだ。子供の成長のためではなさそうだぞ。


「オシッコして汚したのなら、自分でちゃんとそうじせい!」

自分のやったことの後始末としてトイレ掃除を徹底させることが、

子供達にとっていい経験になるのでは?


トイレそうじしたら、

「自分はこんなに汚しちゃったんだ。」とか

「お母さんのトイレそうじ大変なんだなあ。」って感じることが出来るじゃん。

その上で「そんなら座ってしようかな。」って自分で決めたのなら

いいと思うけどね。


「失敗しないように」とか「汚さないように」とか

「〜しないように」ってことを強制することで

子供は「自分のケツ」のフキ方がわからなくなっちゃうんだよね。


これを見てから

「ちょっと飛び散ったかな」って時には

トイレットペーパーでサっと拭いて

流しているケナゲなオイラでした。

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2006年9月28日 (木)

1周年となりました&1つ年をとりました。

ブログを書き始めて1年が経ちました。

オイラの拙い文章を読んでくださっているみなさん、

コメントをくださったみなさん、ありがとうございます。


自分の誕生日にスタートしているので、

当たり前ながら1つ年をとりました。

43歳になったよ。

信じられねぇぇぇ〜っ。

43だって!

まるで実感がありません。

と、一番最初のブログでも書いた気がする.......


これからも統一性もなく、好き勝手に書いていく所存でございます。

何とぞよろしくね♪

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2006年9月13日 (水)

「で、どうすんの?」

ヘコタレソウナことがオイラにのしかかってきたよ。

「ハァ〜」とか「フゥ〜」とか知らず知らずのうちに

言ってるぞ。


いろいろ考えてみて、

そんな時は自分にこう問いかけよう。


「で、どうすんの?」って。


「で、」がミソですね。

「で、」は「結局、」。


こう自分に問いかけることによって気が楽になっていくんだよね。

答えを二者択一にするほうが気が楽だ。

答えを考えてみる。

「やめる」って答えを考えると、「それはやだ!」「そんなのやだ」って浮かんでくる。

自分に負けたような気がしてね。


「じゃ、やる。」

やるんだったらやる方向へ向かって動く。

どうやってやるかを考えなきゃってほうへ向いていける。


時には弱音も吐きたくなる。

だけど最後は、

「でも、やるよ。がんばるから。」

でシメる。

そうしていこう。


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2006年7月16日 (日)

自分にとってのベストを探していくこと

オレは生きていくことに関して

「ゴールを決めて走る。」ってことをやってこなかった。


「ゴ−ルが何なのか」、「自分が何をやりたいのか」、はたまた

「自分は何が出来るのか」を探しながら生きてきた。


おかげでいろんなことがずいぶん遠回りだ.......


カッコよく言えば「大器晩成」だっ!晩成せんかったらどうするんじゃい(笑)。

だからゴールの位置が決められない人の気持ちってよくわかる。

このことって自分の仕事にすごく役に立ってるな。


最近の高校の進路指導は、「自分のなりたいもの」を決めさせて、

そこから逆算して大学の学部を決めていくというやり方だ。

ゴールを一点に絞って突っ走るやり方で、この考え方は大変一般的で根付いている。


でもこれしか教えてないってどうかなって思うんだよね。


なりたいものがわからない、決められれないヤツだって結構いる。

そういう子たちは引け目を感じてる。

「決まっていない」から。

その子たちにとっては「一つの困難」なわけだ。


何の学部を受けたらいいのか、はたまたどこの大学を受けたらいいのかわからない子も、

文系理系と大学に行きたいってことくらいは決まってる。

ということは、受験科目は決まってくるわけだ。


だったら、

まず受験に必要な科目の勉強を優先順位の一番にして、

勉強を続けていく中でいろいろ調べながら模索して複数の「候補」を決めていけばいいじゃん、

時間かけて行きたいとこ決めてもそこにいける実力なかったらどうにもなんない。

実力がつけば選択肢も広がるし、行きたいとこ決まった時の可能性もぐっと上がるじゃん、

勉強しながら模索していきんさい、

ってアドバイスする。「あ、そうか!」っていう子も多い。


先に「行きたいところやなりたいもの」を決めなければ動けないと思い込んでる子や親は結構多い。

立ち止まって考えこむよりは動きながら考えるほうがイメージが湧き易いことのほうが多いし、

まず今やることが決まる。現時点での方向性が決まるからすこし明るい気持ちになれる。


おぼろげな路線を走りながらゴールの複数候補を選んでいき

期日まえぎりぎりでも一点に到達するって

考え方だってあるんだ。


とくに先が見えない時とか、

困難を乗り越えなければならない時には

この考え方に光が見えたり、気持ちが楽になったりすることもあるし、

判断力もつくんじゃないかな。


一点のゴールを決めて突っ走るほうがわかりやすいし、そうほうが早い。


だけどその一点が「非常に困難な状態」であったり、

「物理的に難しい状態」だということが想像出来た時に、

ヘコたれてあきらめてしまうことは往々としてあることだ。


ヘコ垂れそうになった時に、

今日書いたことがグっとクローズアップされるのではないだろうか。

生きていくことは、スポーツのように

「勝ち負け」や「一番」を背負わされてやるもの、ではない。


自分にとってのベストは自分で決めて進んでいくものだと思う。

自分としてのベストは何かを考え、結果としての到達地点を複数想定し、

もちろん多少条件が変わることも視野に入れて、

自分の目標や思いを叶えるものに到達すればよいのではないかな。


今日書いたことも自分の夢や目標を叶えていくことや挫折から起き上がることの

一つの指標になるのではないだろうか、


とオイラは思うのさ!


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2006年5月18日 (木)

笑っちまった話、2発!!

まず、一つ目はコレ!
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カープのブラウン監督は、怒って一塁ベースをぶん投げて退場になっちまった。

ベイル投手の発案で作らた練習用シャツがコレ!みんな着て練習するらしい。

「My manager throws bases.」(うちの監督はベース投げるぞ!)である。

表には「danger!」と書いてあるらしい。

しかし、写真のように、このシャツを着て気合いの入った練習をする前田選手というのも

妙に笑えるぞ!おもろいぞ、カープ!!

ちなみにブラウン監督は、

「I threw the bases.」(オイラはベースを投げた。)で

最高におもろいのは、ブラウン監督退場後に指揮をとった

リブジー打撃コーチのシャツである。

表には、漢字で

「監督代行」  で

背中には、「He did it again.」(ヤツはまたやっちまった。) である。

コイツはおもろいぞ!コイツを着て、

クソ真面目にメッチャ気合いを入れて練習するのがナイスだ!!


つづいて

今日帰ってビデオに撮っていた「ココリコミラクルタイプ」の

「エアギターで告白!」というのがかなり笑かしてくれました。

3人の男が、ひとりの女性に「エアギター」で愛を伝えるというネタだ。

男は、品川(オタク風)、庄司(マッチョ風)、&ココリコ遠藤(部長風)で、


オイラのツボにハマったのは品川のこのプレイである。

曲はボウイの「マリオネット」。

なんとイントロで、足でエフェクターを踏む動作!!!

そして右手でペグをいじる動作、アンプのボリュームをいじる動作

オイラはココで大爆笑デアル。芸がコマカイぞ!!さすがじゃ!!

みごとな芸人魂である。

というか、ギタリストじゃないとワカラナイぞ!


ちなみに庄司はメタリカの「マスターオブパペッツ」、

イングヴェイのごとく、ギターをくるっと一回転させる動作が入ってるぞ!!

しかし、2人ともよく研究しているのか、ギターを弾いたことがあるのか、

結構それっぽいゾ!

遠藤はなぜか女子十二楽坊だ???

しかし、こんなところで笑っているオイラは、単なるマニアックなヤツ??!


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2006年3月29日 (水)

春休みも夏休みもキライ.......

オイラのような仕事では、学校が長期休みの時ほど忙しい。

こんなことを言っては怒られそうなのだが、

「午前中くらいは学校に行けよ〜。」と思う。

高校の先生は頑張って補習してんだから、

小学校も中学校も午前中くらい授業かなんかやればいいのに

と、ものすごく勝手なことを思ったりする。

こういう休みの時に課外活動とかやればいいのに。

と、とっても勝手なことを思ったりする。

おかげでオイラは晩飯を食ったら知らぬ間に撃沈してしまい、

フロに入ってないから気持ち悪くてこんな時間に目が覚めて

フロに入って日記なんか書いてる。

う〜ん、うまいお好み焼きが食いたいな......

なんか、アンリミイチゴウ氏のわびさび日記みたいじゃ。

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2005年11月27日 (日)

うちのとうちゃんのおちゃめなイタズラ

それは、オイラが小学生のある夏休みの早朝に起こった...

われわれの時代は、小学生の夏休みの朝は「ラジオ体操」に行くのが常識だった...

ある朝、オイラは寝坊してしまい、なんと開始10分くらい前に目をさましてしまったのだ.....

「えらいこっちゃぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

「遅刻じゃあぁぁぁぁぁっ!!!!!」

田舎の小学生において、ラジオ体操の遅刻など言語道断である。

んで、とにかく飛び起きて服を着替えて、顔を洗って(多分洗ったと思う)

家を飛び出したのだ。

んでなんとか強引に時間には間に合ったのだが.....

ついた瞬間、大爆笑の嵐......

「なんなら、これは〜っっ!!」(広島弁)

わけが分からず錯乱状態のオイラ

「おまえ、鏡見てみい。」と言われ、

すぐそばにあった車のバックミラーを見てみたら.........

オイラの顔に、見事なヒゲ、メガネ、ほっぺにナルトがぁぁぁ......

描かれていた。しかもヒゲは、口ひげだけではなく、

志村けんみたいな、点々のあごヒゲまで........

「顔は洗ったのに....」

そう、油性マジックで描かれていたのだ!!!

焦っていたので鏡など見る間もなく、飛び出していったのだ。

よりによってこんな時に寝坊してしまうオイラもなかなかのやり手である。

「たのむわ、とうちゃん〜。」

またうちのとうちゃんは、オイラが寝ていると、

ちり紙(当時はちり紙であった)でこよりを作って、

オイラの鼻の穴や耳の穴を攻撃する......

小学生の子供にそんなことすんなよ〜。

ということでオイラの妙な芸風はうちのとうちゃんによって

育成されたわけである。

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2005年11月 8日 (火)

精神的に乗り越えなくちゃいけない一線

なんらかの目標や方向性を持って頑張り始めると、

一段階上がるごとに、毎回同じ「試験」があると思う。

その試験をパスした時に言える言葉があるんだよ。


2つ。

まず一つはね、

「自分は、こんなところがまだまだです(でした)。」って

自分が未熟であった部分が素直に言えること。

「ダメ」じゃなくて「まだまだ」。

今までの未熟な自分を受け入れることが出来た時に初めて言える。

いろんな世界で認められている人ほど謙虚だったりするよね。

「ほんとまだまだ勉強です。」なんて言ってる。

頑張ってきた過程の中で何回も何回も

「未熟であった自分」を認めて受け入れてあげてきたんだろうな、と思う。


それともう一つは、

「自分を大事に思ってくれる人の気持ちがわかること。」だと思う。

「自分を受け入れること」と「相手を受け入れること」はイコールだ。


あなたのことを大事に思っている人は、

あなたの未熟な点がわかっている。

そのことで思い悩んだりしている。心を痛めている。


あなたも自分の未熟な点は分かっていたりするが、

人に触れてほしくないから

その人のことを疎ましく思ったりする。

大事だと思っている人に

「疎ましい」なんて思われるのって

どんなにつらいことかわかるかな?

次のステージへ進む過程の中でその気持ちを分かってあげよう。

いかに自分の気持ちや態度が未熟だったことか.....


その過程の中であなたがしてあげられること、出来ることは.....


一つめのことも二つめのことも、

「自分が大事に思う人」というよりも、

「自分のことを大事に思ってくれている人」をよく見極めて、

その人に自分の心の奥に仕舞い込みかかっている「自分の素直な気持ち」の

ほんの一部を勇気を持って話してあげることだ。


その人は「全てを話すこと」を望んでいない。

あなたが「話してくれること」自体を望んでいるんだ。

無理し過ぎなくてもいい。少し考えて心の準備をしてからね。

そうすると、心の中のつっかえが取れて前に進めるよ。


ま、なんにしても

次の段階へステップアップしようとする時には、

「今までの自分」のままじゃあ通用しない世界へ行こうとしてるってことだな。

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2005年10月27日 (木)

なんとか回復!

腱鞘炎もだいぶ回復!!

来週の木曜は、博多へGO!!

QUEEN&PAUL RODGERSなのだぁっ!!

ちょっとお休みしたので、

またバンバン書きたいですっ!

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2005年10月21日 (金)

腱鞘炎になりかけてる...

ちょっとやばい...

気合を入れて書きすぎたかなぁ...

ギタ−も弾きすぎたかなぁ...

でもどっちもやりたかったんだもん...

ちょっと休ませてやらねば...

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2005年10月20日 (木)

インプットとアウトプット(「勉強すること」と「研究すること」の違い)

先週、うちの若い衆と話した事を書いとこ。

「勉強すること」「研究すること」は、別次元のことだとオイラは思う。

・「勉強する」ということについて

まず「勉強」は自分に対して知識等をとにかく「インプット」していく作業だ。

自分がやるべきものをチョイスあるいは与えられ、それに取り組んで自分の頭にぶち込んでいく作業だと言える。

「勉強すること」において重要視されることは、「努力量」+「コツ」である。

勉強した事に対しての成果を表すものとして、

「テスト」「成績」というもので数値化していく。

「自分の中にインプットしたもの」で「試験にパスしていく」のが、

「勉強」の流れだ。対象は他人ではなく「自分」であり、他人は比較対象だ。

「勉強する」と言う事に関しては、実はそこまでなのだ。

・では、「研究する」とは、

「研究してどうするのか。」と言う事から考えると分かりやすい。

研究して「発表」するのだ。誰に発表するのかいえば、

「外部の識者」ということになるだろう。

「勉強」は「自分のため」、「研究」は「外向け」なのだ。

本気で研究しようと思えば思うほど、

外に向けて発表し、「学会などで認められること」、

あるいは「社会に貢献する事」を目標にするのではないだろうか。

「外向けにアウトプットしていく」ことを目的としたものが「研究」である。

だから「勉強すること」「研究すること」では位置付けがまるで違う。

「勉強すること」は「研究すること」の前段階として必要とされる作業なのである。

「知識」「努力量」「情熱」は、「アウトプット」の世界では必要条件でしかない。

「考え方や物の見方の奥行き・柔軟性」が重要視されてくる。

「自分の考えの外」にあるものをいかに取りこんで、自分の中で噛み砕いて、

新鮮で新しく柔軟な発想で、「何かを見つけていく」あるいは「作り出し」、

「かつてなかったもの」を発表し、識者を唸らせなければならない。

自分の中や考え方・見方に「かつてなかったもの」を取りこんでいかなければ

対応できるわけがない。

何かを発見する作業にしても、画一的なものの見方では、

すぐそこに落ちている大発見にも気付けない。

こんなありきたりな所に落ちてる訳がないと思ってしまうのだ。

インプットの世界とアウトプットの世界は異次元であると言える。

「インプットのあたま」から「アウトプットのあたま」に切り替わった時、

ほんとに意識や考え方が大きく変わり飛躍的に成長していくんだよ。

要求されることも今までにないものだとわかるから、自然に考え方に奥行きや幅が出来る。

ただね、携わる度合いは個人の自由かな。深くやらなければならないってこともない。

「研究すること」を本気でやりたい人は、

「勉強すること」から「研究すること」へ移行する前に、ちゃんとそのことを確認しておかないと

「インプット時代」のあたまでは、「アウトプットの領域」では、すぐに通用しなくなることは

分かっておくべきだと思う。

、なんて話を、オイラも大した事ないのに、えらそうに話したわけです。

ほんとえらそうだぁっ!

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2005年10月18日 (火)

「NEET」についての考察

これから「NEET」は間違いなく増える。

「NEET」は4種類に分類されるらしい。

Ⅰヤンキー型
 反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ
Ⅱひきこもり型
 社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ
Ⅲ立ちすくみ型
 就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまうタイプ
Ⅳつまずき型
 いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ

Ⅰ型のことはよく分からないので、Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ型について話したいと思う。

Ⅱ・Ⅲ・Ⅳにおいて共通して言えることは、

「リカバリーする力の欠如」である。

本来、大人は子供たちに

「つまづいた時に、どうやって立ち直っていくか」を教えていくべきなのに

「傷つかないように」するために「失敗させないように」もっていっている。

子供に出来るだけ「安全パイ」を踏ませるようにもっていく。

「リカバーするトレーニング」から出来るだけ避けるようにもっていっている。

社会へ出たらヘコむ事だらけなのに、逆の方向へ持っていっている。

それって「子供を思ってる」ってことなの???変だよねえ...

親の手元にいる間は、親が失敗させないようにもっていくのだから何も起こらないが

リカバーするトレーニングを受けていないのだから、社会に出るのも怖いだろうし、

社会に出て失敗しても立ち直ることが出来ない。当たり前と言えば当たり前だよなあ。

これからはリカバリー力のない「傷つきたくない」親がものすごく増える。

若い人たちの「友達の位置付け」を見ればそんなふうに思えてくる。

今の若い人たちのつながり方って、「仲間・友達」って

ヘコんだ時に、「気持ちわかるよ。」

なんて言ってヨシヨシするつながり方なわけでしょ。

共感してもらう事で「一人じゃないんだ。」って癒されるんでしょ。

触れてほしくない部分には、「わかりあってる」ってことで踏み込まない。

だから摩擦が無くて楽だし、お互いに傷つかなくてすむし、「一人じゃない」感覚を持てる。

それが「友達・仲間」って思ってる。

「自分のことわかってくれてる」って思っているから内輪だけしか通用しないナアナアな常識が出来上がる。

共感されてしまう事でリカバリー力をつけるチャンスから遠ざけられてしまう。

「仲間がいる」感覚を植え付けられてしまうから、一人じゃ動けない。

そんな人が親になったら、その子供にリカバリーする力がつくわけないじゃない。

オイラが言ってることは極端なのかもしれない。すべてがあたっているとは思わない。 でも傍から見ててなんかおかしい。

大事に思うヤツほど踏み込んでいくし、摩擦があると思うんだけど。

社会に出たら、友達のいないところで一人で勝負していかなければならない

「人とのつながり方」をほんとにしっかり考えていかないと、

そのツケが自分の子供に回ってくるよ。

ただね、若い人たちがどのこうのではなく、 オイラ自分自身ももっともっとしっかり考えて生きていかなければ、と思う。

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2005年10月 2日 (日)

Burnout syndrome

9月はしんどかった...

夏の終わりに体力きれた..... 病院でドーピング!

気力は湧かんが仕事はこなした 仕事が無味に感じた

んが、復活したのだ!!身体を休めて 落ち着いていろんなこと考えた

ここに登場したこともgoodなことだったぞぉっ!!

そんな中でこんなことが頭に浮かんだ

「今のオイラって頭が固くなってるかも」

ヤバい、次のステージへ進みたいぞうっ!思考をヴァージョンアップしなっくっちゃぁ!!

ひたむきに取り組む人ほどさ

一生懸命考えるからさ 自分の考えかたや価値観に自負が出来るんだな

次のステージに進めばさ 取り組むこともヴァージョンアップするわいな

ということはさ 自分の頭のなかもヴァ−ジョンアップせんといかんよな

一生懸命築き上げた考え方も価値観もちょいとばかし及ばなくなるんだよなあ

「そんな時どうする???」

オイラさ、古くなった考え方、価値観は捨てんといけんって思っとたんじゃね

古くなった考え方を否定しとったんじゃね

実はちょっと違うことに気がついた

仮にもさ 自分で努力して考えて築いた価値観じゃん

大切に思わんといけんよなあ 自分と一緒に進んできた大事なヤツ

進歩したから及ばんようになって役目を終えただけじゃもんなあ

自分と一緒にがんばった価値観じゃもんな

「ありがとうっ!」って言って心の中に大事に納めてあげんといけんよなあ

必ずさ そういう時が来る それを認識しとかんといけんな

そう思ったらさ 相手の価値観を否定せんでもいいってことに気付いたぞっ!

認めてあげられるから 優しくできるよなあ

なんて 

これが「相手を大事にすること」かあぁっと 見事にしめくくり

1人で納得しているやっぱりヘンなオイラでした

「しっかり働けいつ!!!!」

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